2005年3月30日 ■ようやく春!もう3月も終わる!。

はーっ…。またまたこんなに時間が経ってしまいました。
前回日記を書いたのはいつのことやら…。だけど、更新もまだだし、いいかー!
って、もしかして、私の日記待ちとかねー。すみません…。(スミマセン僕の怠慢のせいですでに5月。日記到着より3ヵ月たってしまいました。ウェブ担当U)
 
最近は本当にダラダラの極みにまで達する勢いで過ごしているエモリさんですが、ドイツにもようやく春が訪れ、去年必死になって植え込んだ球根が芽を出し花を咲かせ始めました。
ドイツに来て、春の喜びを感じる私。
だけど、球根植物がいっせいに咲くのだけはちょっと残念。
日本では水仙さーん、梅さーん、桜さーん!なんとかさーん!と結構順番に咲いてくれるのが、ここドイツではいっせいに、です!
レンギョウさん、水仙さん、スノーフレークさん、チューリップさん、ヒヤシンスさん、桜さん、え、もう咲いたん?え、もう終わり?!こっちもかいな、あっちもかいな!
で、にぎやかなのはいいけど、いっせいに咲きすぎてちょっとねー。
 
そんな事で苦情を言うのは私くらいなもんでしょうけど、それ以外には自分自身にも苦情が…。
今に始まった事じゃないけど、このマメじゃない性格、どうにかならないものでしょうかねー(マメの反対語はあるのかしら?)。
 
今日も、大事な留守電を12日経ったあとに聞く私。
あわてて連絡する私。がーーーーー…。
おとといメールを久々に開ける私、そこには送信待ちのメールがあって、前書きかけていた日記メール。
日付3月6日…がーーーーーーーーーーー(最近は学校でしかメール見ないものでして…)。
 
そして、今日書いている私。
ほかにもいろいろいろいろ。
 
あと、よくモノをなくす。信じられない早さで置いた場所を忘れる。
そして、わめく。 ぎゃー!
彼氏、無言…。
結局、ほえーって思う様な場所にあったりで見つかることが多いけど、やはり、この不マメ(マメの反対語か?)でおおざっぱな性格は直さないと困りますね。
昔はちょっとマシだったような気がするけど…気のせいか…。
 
いやはや、日記も久々でメールも久々なもので本当に大変です。
大変といえば学校はますます大変で、考えることいっぱい、やることいっぱい、書くこといっぱいでエネルギー切れ状態です。
これからますます忙しくなるのでしょう…。
 
しかしまぁ、春ですからね。
日本では新しい年の始まりとも言えますし…。
エモリさんだけがボケボケするのもなんですし、たまには気合い入れてやらなきゃ進まない現実を逃げずに受け入れます。
 
エモリミエ


 

日記 2012年まで中断。。。。。

空白の7年間

 
2005年から、2012年までの間とは、
かなり、あいてましたね。。。
ブログを読んでいてくださった、そして、ちょっとは気になってもいたけど・・・な皆様には、
いまさらながら、申し訳なかったなぁ。。。と
時間は戻らないし、
よくよく考えても、考えなくても、
この8年間の間には、色々な重要なこともありました。
もう、記憶をたどることも、怪しいので、しかも、長くなるので・・・
自分にとっての勝手な重要ポイントだけを書いてみます。

まず、
最初は、私がなぜドイツに行ったのか・・・
の一番の理由が、この学校 ヴァイヘンシュテファン (https://www.blumenkunst-weihenstephan.de/startseite.html) です。
さらに、なぜ、この学校だったのか、そもそも、なんでドイツ???なことも、
説明しないと、わからないかもなぁ。。。と思いつつ、よーく考えたら、もう、20年も経ってしまった
この、今頃?ありですか?な私ですが、
そのあたりは、記憶に残っている範囲で・・・

まず、大阪梅田阪急3番街にある、紀伊国屋書店。
ある日、私はそこで、一冊のバーゲン洋書に出会います。
何気にのぞいた、その洋書コーナーで見つけたこの本 (https://www.zvab.com/buch-suchen/titel/floristik-mit-wildpflanzen/autor/christiane-buech/
の見開きのページ、作品の数々、いろんな写真に、目が奪われ、
(こんな月並みな表現しか出来ないもどかしさ・・・あぁぁぁぁ)、すぐ購入しました。
そして・・・
ここからは、あほみたい、というか、あほやけど・・・な話。
いざ、その本を読もうと、新品のような、中学校時代の英和辞典を実家から持ち帰り、
読もうとしてみたものの、一単語として、辞書にはのってない!?
あれ。それって、おかしくない???
そして、そうそう!その当時お付き合いしていた方が、大学での第二外国語がドイツ語だったと
言うことで、ドイツ語と判明。
うわー!そうなると、20年以上も前!笑ってしまいますね。
というか、自分のあほさ&若さ加減も、あきれるほど!
それで、判明した、一目ぼれ洋書はドイツ語という事実。
そこから、私の、
ふーん、ドイツか・・・こんなきれいなものを作る人がいる国に行ってみよう。
そして、お花の勉強ができたらいいなぁ・・・。の夢がスタートしました。
当時はネットなどなかったので、いきなり駆け込んだのは、
世界的なドイツ語学校、ゲーテインスティテュートでした。
情報があり過ぎない時代で、若かった私は、いきなり行くことに何の抵抗もなく、
授業料の高さに、驚きはしたものの、(語学コースに通うのはその何年か後です)
ただでは帰りません・根性で、色々な情報を教えてもらい、その時に
ぴらっっとコピーしてもらった紙には、いくつかのドイツのお花の学校が書いてありました。
その1つが、ヴァイヘンシュテファンだったのです。
しかも、そこ!と決めた理由は、
Blumenkunst(
花の芸術) Fachschule(専門学校)と書いてあったから・・・
花の専門学校なら、さらっと入れるのではないかしら?
高卒でもだいじょうぶやろうし・・・と、
一気に、しかも、それだけで、目標を決めてみた、当時の私です。

若さって、すごいですね~!と、今はそう思う私。
そして、そんな、あまり熟考どころか、あっさりと決めてしまった目標に
突っ走ってしまうことになるのですが、そのすべてが、私にとってはど・真ん中でした。
ドイツという国、自然、人々、花たち、そしてヴァイヘンシュテファン。

出だしが、あまりにも単純というか、シンプル。なので、本当に何も考えてなかった。
だけど、ドイツに行ってみたら、
親切な人に出会うわ、一緒に住むお友達にも出会うわ、住むことが出来る部屋もみつかるわ、で
早速、行くことを決めたのでした。
それからは、2000年からの日記です。

そして、
話は戻りますが、
2004年から2012年の間には・・・
そのさらっと入ったつもりの、専門学校ヴァイヘンシュテファンを何とか卒業し、
(全然、さらっとじゃなかった!!めっちゃ大変な思いをしました~!)
卒業後は、読み返せば、初期のころの日記にも登場している
(
初期も、初期、一番最初の2000年6月でした・・・)
バールマンというミュンヘンのお花屋さんで、働いてもいたのです・・・
https://www.blumenbinderei-bahlmann.de/

そして、私事ではありますが、永久ビザを取得したあと、結婚し、
今に至ります。

ココまで書いて、もう、すでに長文になっていることに、気がつきました。(今更です)

そして、自分のなかでも・・・
あ~。ドイツでの花人生における、割と重要な時期がすっぽり抜けているんやな・・・
と思わずにはいられません。
ドイツ生活にも慣れ、楽しい日々、充実した日々、学校での友達と過ごした日々や、
ミュンヘンでも有名な、街のど真ん中にある、憧れた花屋で働く日々・・・・・
今の私には余裕を持って、懐かしく思うことができますが、
当時は、忙しかった・・・
楽しかったぶんと同じくらいのしんどーい日々もありました。

それでも、やっぱり、きっと、みなさまが一番知りたいことが、
ぎゅーぎゅーに詰まっていた8年間だったように思います。

しかしなお、ドイツ生活は続く・・・
今までの経験を活かし、突き進んでいるエモリミエは、けっこう、
2000年の頃と変わらないのかもしれません。。。というか、
そう簡単にコアな部分は変わりたくないな。。。と思います。

以上、8年間の空白期間でした。

P.S
詳細・・・
2005年 7月 ヴァイヘンシュテファン卒業
2005年 10月 バールマンで働き始める
2008年 2月 バールマン退職し、7月に結婚。
結婚してからは、ヴァイヘンシュテファンの大先輩でもあるバーバラのお店
www.bluetenraum.de
で働き始めます。
                               2017.0727 ミエ