こんにちは。みなさま、G.W.はいかがお過ごしでしょうか?
ドイツは、つい2週間前まで雪とか降って積もったりもしたのに、5月に入ってから急に暖かくなりました。1日なんか、気温がなんと30度まであがりました!!
いくらなんでも「あんた、それ急過ぎ!」ですよね。
そんな中、お花の展示会に行ってきました。
写真は、こんな感じです。
ちなみに、芝生の作品は、かの有名な、ウルズラ・ウェゲナーさんの手によるものです。
私の感想は・・・。
“ふ~ん・・・(なんて生意気な!!)”
っていうか、花じゃないですよね。
これは、KUNSTLICH(芸術的な)展示会でした。
この学校の名前は、“WEIHENSTEPHAN FACHHOCHSCHULE FUR BULUMENKUNST!!(ヴァイエンシュテファン・ファッハホッホシューレ・フュア・ブレーメンクンスト):花芸術のための専門学校”なんですけど、なんか、「花」がぬけてません??っていうのが私の正直な感想でした。
次の日シェフにそれを伝えたら、 「ミエが行きたいって言ってる学校じゃないか・・・」って。
確かに・・・、確かにそうです。
奥が深い世界なのでしょうか・・・・・・
一緒に行った彼も、
“ふ~ん・・・”って感じでした。
みなさまは?
さぁ~て、だいぶ暖かくなってきて、ドイツ語にも慣れてきた私。 今日、同僚の17歳の女の子に、
「ミエ、最近、ドイツ語だいぶわかるようになってきたけど、前みたく、勉強してないんじゃない??」って言われてしまいました。
“どきぃぃぃぃぃぃぃっ!!”痛いトコロを・・・ *_*
初心忘るべからず・・・ですね。勉強します。 ではまた。
お花屋さんにとって一大イベントの母の日がようやく終わりましたね。
こっちは、日本ほど忙しくはなく、それなりに・・・って感じでした。
どこの花屋も母の日だからって、特別なデコレーションなどはされてませんでした。
ちょうど今はバラの季節なので、庭用のツルバラとか、トピアリー仕立てのもの、イングリッシュローズ、なんかがお店を彩っています。
またこちらの母の日は、カーネーションではなくバラの花がメインで、小さい子供もお母さんに「バラを!」って買いにきてました。
ですから母の日も当然、店内はバラだらけになっていました。
こっちは、バラが相当好きなんでしょうね・・・。
うちのシェフもバラ好きで、よくイングリッシュローズやオールドローズを買ってくれます。
すごく良いにおいなので、みんなで「はぁ~~~~っ」とか言いながらにおいかいだりしています。
その中で、すごくきれいだった黄色のイングリッシュローズの写真を1枚送ります。
名前は・・・・・・すいません、忘れました・・・。
いろんな花も咲いてきて、いつかあきるほど見た~い!って思っていたライラックが、そこらへんの家の庭に、わんさかわんさか咲いていて、毎日
「いやぁ~ん、いいにおいやん! かわいい~~~」
とかって心のなかで叫びながら通勤しています。
日本にいる時、一度だけ、葉つきの“もさもさ”したライラックが市場から入荷されました。
すごくきれいで、当時片思い中だった彼から“友達の結婚式用に!”って頼まれた花束に思う存分使った思い出があります。
ライラックはそれ以降、市場のおっちゃんになんぼ頼んでも入荷する事はなく、片思いの彼は、その後彼女と店に来て、
“私のハ~トもライラック!!”
って、思い出に浸ってる場合でもないんですね。
日本のライラックは葉っぱのないサミシイものが多いじゃないですか?
しかも、スグに水下がったりで・・・。
でもねでもね。ドイツでは私が夢にまで見た葉っぱつきのライラックが毎回!! 入ってくるんです。
しかも、かなり元気な花たちで“きれ~い!きれ~い!!”なので、写真を送ります。
今日は学校でレポートの発表をしました。
テーマは、“日本の政治!”です。
そんなん、日本語でも説明できひんのに、ドイツ語でなんてできるわけないんで~す!
が、いつも仲良くしている友達に
「美絵のドイツ語はゆっくりはっきりしゃべれば通じるから!」って言われて、
「そうそう??でもな、政治知らんねん!!」って思いつつもやってみました。
何事もやってみなあかんやろうしな・・・って。
結果、最初は、間違った事ばっかり言うし、天皇の名前も知らんし、
“エモリサン、本当に日本人ですか?”
って思われてたと思うんですが、
5分の予定のところ、1時間弱も“うだうだ”しゃべったにもかかわらず、みんなに、「良くできてたよ!」っていわれ拍手で終わったのでした。
いつものくせ?!で軽くお辞儀とかしてたら、“クスクス”って笑われたりもしたのですが。
予想外の出来に私も子供みたいにきゃっきゃっしてしまい、「いやぁ~みんな良い子らやわぁ~~~」って思った1日でした。
秋には、学校での初めての大きなテストがあります。
この前、サインをして申し込みをしたのですが、HERR WINTERに
「テスト悪かったら、日本にかえりや~!」
って言われて、そんなおっかない事いわんとって!!
実技は、ほぼ問題ないんですが、筆記がねぇ・・・。
この試験は、学校のそのまた上の機関が行うフロリストになるための基礎資格取得試験みたいなもんなんです。
秋まで時間はあるので勉強するのみですね。
ではまた。
最近なんとなく回りのことが見えだしてきた私。
今日は“生意気!!”にも、私が「どうやってここ(ドイツ)まで来たか?」について書きたいと思います。
中には知りたい方がいるかと思うので・・・。いなかったら、ど~しよぉぉぉぉぉ
まず、きっかけとして、
「単純・勢いのみ・即行動!」がモットーの私は、22歳の頃、その時つきあっていた彼に
「おまえって口ばっかり!!」と自分のドイツへの夢について、しれっと、軽く、あからさまにこう言われ、むかつきました。かなり!!
そして、ちょうどその頃働いていた花屋ではいろいろと悶々とする毎日でした。
そこで、「ここらでいっちょ花屋を辞め、彼氏にもああ言われたし、ドカーンと一発!ドイツにでもいこっかな?」って、思ったのが始まりです。
当時、お金もパスポートもドイツ語力もなかった私は、とりあえず、短期バイトでお金を少しでも稼ぎ、パスポートの申請をし、ドイツ語会話のラジオを聞き始め、自分勝手にちゃっちゃと行く準備をしました。
最初のドイツは1週間の日程で、フランクフルトからミュンヘンまでで、
“移動できなきゃ、帰られへんでツアー!!”
を組んだのです。
なんて、無茶な・・・。
でも、何とか1週間過ごせ、(誕生日はドイツで過ごせるように日程を組んだおちゃめな私!)無事に帰国した私はいい気になり、次に
“本気でドイツに行こうツアー!”
目指して、ばりばり働きました。
ずっと一人暮しだった私は、当然、貯金なんぞなく、その日・その月暮らしでしたが、帰国してからは、朝、仕事、夜バイトの生活を始めたのです。
それから約2年後、今度は3ヶ月間の滞在期間で
“現地の語学学校に通いながら、いろいろと偵察しとこ!ツアー”
へと旅立ったのです。
この時の3ヶ月が私をここまで(まだまだ全然ですけど・・・)これるように変えてくれた貴重な期間で、さまざまな事、出逢いがありました。
つづく・・・