はぁ~もうすぐ大好きな春の気配が漂う、日曜日の午後の一時・・・。
こういう時間は本当に幸せを感じます。
エモリさんも、ドイツ化されつつあるのでしょうね。

“日曜日は休み”

という生活が2年以上も続くと、だんだん生活ペースがゆっくりになっていくような気がします。
最初は、

“コンビニもないやんけ!”
“町中の店も開いてないやんけ!”
“買い物もできひんやんけ!”

って、”たのしくな~~~~い!”の一言でしたが、最近は、このゆっくりと何もしない日曜日がお気に入りです。
何もしないといっても、セカセカしいことをしないだけで、例えば、

“1~2時間の散歩”
“ゆっくり半身浴+美容にいいこと(寝る。顔パックする。運動する・・・。)”
“読書”
“たまに、ドイツ語の勉強!?!(これは私の中ではセカセカしいことに入る為、たまに・・・)”

そんなんじゃあかんやろ!ですけどね。

この読書なんですが、これは今までに私がはまったことが一度たり!ともなく、自分でも「“読書を楽しむ”という日がくるのであろうか・・・」と思っていたのですが、今、スッポーンとはまっています。
こないだ、それがうれしくて、母親に電話で「今、読書にはまってんねん」と伝えたところ、期待通りの反応ではなかったので少しがっかりでした。
エモリミエの大嫌いだった夏休みの読書感想文は、いつも最後の解説を読んでの感想文だったのに。
しかも大人になって、いろんな本読んでないことが恥ずかしく思われる場面になっても、雑誌か漫画しか読まなかった私。
絵と写真がない本なんて“読めるわけない!”とか思ってたのに、これまたどうしたことか、今は“本がよみたぁ~い!!”のエモリさんです。

その本達が、もしドイツ語で書かれているのであれば、エモリさんのドイツ語が飛躍的にのびるはずなのに・・・、ドイツ語本は解説すらも読んだことありません(恥ずかしい自慢)!!

本と言えば、マンガ。マンガといえば私の可愛い同僚“トルステン”くん。
今回は、トルステンの写真を送ります。
私の希望「赤バラをバックに、ライトをカツーンとカメラに写して・・・」で、撮らせてもらいました。
撮った後に、

“ベルバラみたぁぁ~い!!”

と一人で喜んでいたら、
トルステンに、

“何そんなに笑ってんの??ベルバラって何?”

って聞かれ([注]彼は日本に興味津々で、いろんな日本の事が知りたくてたまらない!)、「あっ、ここはドイツやった・・・」と、はっと我にかえるのでした。
トルステンは、日本人のお友達、大・大募集中です。

ところで最近、ミュンヘンで関西弁の友達が減ってきました。
残念です。まぁ自分がそれだけ長くいるようになってきたからでしょうか・・・。
「関西弁を標準語にかえてみようかな?日記もそうしようかな?」とも思ったのですが、それ、きっと、めっちゃ“きしょそう(気色が悪そう)”なので、やっぱりやめます。


暇な日曜日だったので、アホなこと書いてしまいました。
さようなら


エモリミエ


こんにちは、約1週間ぶりの日記送信です。
今回は、私がある日突然ファックスを送りつけて、無理矢理知り合いになってくれと申し込み、その後いろんな情報を教えてももらい、本当に本当にお世話になっているこの道の先輩でもある、とある日本人方のお話です。
その方のお名前は、橋口学さん。
私が「ヴァイエンシュテファンに入りたい!!」と夢見ると同時に、現実の厳しさに吹っ飛ばされそうになって弱気になっていた頃に出会いました。
出会いといっても、私が勝手に出会いとしてしまっているものの、おそらくあれは出会いなどという体裁のいいものではなく、押し込み、押し売り?!ちゃうな・・・なんやろう・・・。
まぁ、今から思えばドイツ語わからへんから「とにかく誰か日本人を!」という追い込まれた環境の中、神様がくれた“幸運”だったのでしょう・・・。
あれは2000年6月、私はドイツ職業訓練制度のハードルの高さを目前にし半分夢を諦めかけていたころ、ヴァイエンシュテファンの校長先生から、
「ちょうど今年から、一人日本人の方が入学するよ・・・」と言われ、
「えっ、その方のお名前は! ご住所は? 電話番号は!!!どうか、教えていただけないでしょうか?」と必死になって言ったところ、
「うん、いいよ」とあっさりと、勝手に橋口さんの個人情報を教えてもらったのがはじまりでした。
内心、そんな簡単に個人の情報教えてもいいのか?と思いつつも、早速その夜に電話をし、電話にではらなかったから、すぐさまファックスを送り、橋口さんからの連絡を待っていたのでした。あぁなんて、強引な。
でも、こんな最初にも関わらず、昔も今も変わらずにいろんな事を教えてくれたりとお世話になりっぱなしです。また、約半年は、同じミュンヘンのお店で働いていました。
その橋口さんが、この度“日本人の、日本人による、日本人のための”花の学校を開校されるそうで、今、それの実現に向けて、いろいろ準備されています。
ちなみに、この“日本人の、日本人による、日本人のための”というリンカーン大統領なキャッチフレーズは私が勝手につけてしまいました(橋口さん、ごめんね・・・)。
橋口さんの開かれる学校は、彼の卒業校“ヴァイエンシュテファン-ドイツ国立花芸術専門学校”の校長先生をはじめとする先生方のセミナー等があり、しかもそれが日本語で学べるのが特徴です。
もちろん、ドイツに滞在し、ドイツの街の中で、ドイツ(ヨーロッパ?)の花材を使って・・・。
私はまったくをもって、橋口さんのことを尊敬してしまいます。
なぜって、そういうこと私にはこれっぽっちも考えたことがなかったから・・・。
今まで「自分自身のことで精一杯、人に教える、そこから自分も何かを学ぶ」というようなことは全く思わなかったから。
読者の皆様のなかに、言葉の問題やその他の問題で「ドイツにいってしまおう!」の決心がなかなかつかない方、だけど「ドイツでドイツの花理論を勉強したいと思っておられる方」がいらっしゃると思います。
そういう方々がこの度橋口さんが開かれる学校で、私や橋口さんが学んできたドイツフラワーデザインの基本、橋口さんが学ばれたヴァイヘンシュテファンの理論などを日本語で学ばれるというのはどうでしょうか?
橋口さんが学校を開校される頃、私は、ヴァイエンシュテファンの生徒である予定です。
先日シェフが私に「おまえも、学(橋口さん)の学校で日本の皆様にドイツの花装飾の理論を教えるんだぞ!」と言いました。
私が「うん、PUTZFRAU(プッツフラウ:お掃除おばさんのこと)で、手伝いに行きます」と言ったら、大笑いして「おまえは、ほんまに変な日本人やな」と言っておりました。
“変で悪かったな!”
もし読者の皆様で、橋口さんの学校に来られる方、学校内で掃除してる日本人が、エモリミエです。お気軽にお声かけを!なんてのは、嘘ですけども・・・。
ドイツに来て約2年半、毎日はやはり戦いです(おおげさっスね)。
ドイツ語、ドイツの生活習慣、気候(寒さ!!雪、氷!!)・・・。
そんな毎日の中では、自分の事しか考えられない日が殆どで嫌になることもしばしば。
だけど、ようやく私の職業訓練が無事終了し、ドイツで少しはまともなフローリストとして働くことが可能になった今、改めて思うのは、
“ドイツで勉強が出来てよかった・・・”ということです。
私も、自分の出来る限りで橋口さんへの何らかの力になれればと思っています。
まずは、掃除が基本ですかね・・・(しつこいな・・・。)
ドイツは、すっかり春めいてきました。
球根植物が芽を出し、スノーフレークや、クロッカスなどは満開です。
そして、私はこれからもドイツで勉強を続けます。
では、皆様お元気で。



本日、3月31日をもちまして、ドイツでのアウスビルドゥング(職業訓練)が終わりました。
私は約2年半(ドイツ語が笑けるくらいにわからなかった2000年10月から今まで)、シェフであり、マイスターである「Herr Winter氏」のもとで働き、ここドイツでフロリストになるための基本となる時間を無事に終えました。

なんだか

“ぽっか~~~~~~ん”

って感じです。
この日がいつか来ることは分かっていたけれども、実際来てしまうと、なんともいいようのないどうしようもない寂しさが募ります。

「Herr Winter氏」のもとでアウスビルドゥングができ本当によかった。
シェフは、私のことをめちゃくちゃかわいがってくれました。
日記に書きたくても書けなかったエピソードもいっぱいあります(「今書け!」って言われても、書かれへん・・・な・・・)。
いろいろ思い出すと涙が出てきます。

シェフはどんなことがあっても、私を助けてくれました。
私は、それに報いるため、自分の仕事に対する姿勢や学校の成績で返そうと日々思っていました。
でも、ときたまムカッっとくるようなこともあり、接客態度が悪くなったり・・・。
一度はケンカっぽいのまでも・・・。あらららら・・・ですね。
そんなときでもシェフは何も言わず、その原因が私のドイツ語理解力不足からくる失敗(例えば、意味が解らなくてお客様を不安にさせる、いらだたせるなど)だったり、外国人であるということ(どうしても差別されたりすることがある)が理由の場合、100%私を信じて、私の味方でいてくれました。

入学したての頃、学校の副校長から電話がありました。
理由は、

“ミエの成績が信じられないくらいに悪い”

ということ。

副校長は電話口で「この子は本当にアウスビルドゥングをやっていけるのか??私はこの子が2年半ドイツでアウスビルドゥングをやっていけるとは思えない・・・」といいました。

そのときシェフは「私がミエのシェフであって、あなたはただの学校の先生。ミエがやっていけるかどうか、それを決めるのは私であってあなたではない」と一言。

そのころ、まだ私はドイツ語がさっぱりだったのでシェフの言うことの半分も理解できませんでしたが、シェフが、泣いていた私に「おまえのシェフは、私。アウスビルドゥングは私がやること。学校はなんの決定力ももたないから」と言ってくれました。

ただそれだけを必死に説明し(一生懸命に簡単なドイツ語と身ぶり手振りで説明してくれていた)、私がテストで1点しかとれなかったことや、その他の学科でも最悪な点数をとったこと、全てにわたる“あちゃ~~~”と言うような成績のことにはいっさいふれず、一言「おまえは出来る」とだけ言ってくれたのでした。

そんなシェフ。
やっぱり別れるのは辛く、泣かんとこうと思えば思うほど涙が出てきて、最後は、

“DANKE SCHOEN(本当にありがとう)”

と言うのが精一杯でした。

あぁ~本当に時が経つのは早いもので、私は、また再び新たな環境へ、自分の夢に近づくべく、前進します。

シェフや同僚のみんなと過ごした2年半はかけがえのない、私の宝物です。
ドイツにきてこんな宝物に巡り会えるとは思ってなかったです。

“やっぱり、少し淋しいな・・・”

でも、感傷に浸っている場合ではありません。
4月23日にはヴァイエンシュテファンの入学試験があります。
その学校に行くために、シェフのところで修行をしたのだから、なにがなんでも合格しないと!!!

エモリミエ、涙をふいて前進です。



たった一枚、シェフとの写真を撮りました(彼は写真が大嫌い!!)。
「MEIN LIEBER CHEF(私の大事なシェフ)」でした。

もう一枚は、私の先輩フロリスト「OLIVER(通称:オリ!)」です。